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都会の夜から夜へ
スイスイと、もしくはぶらぶらと親密に街を移動する男の
あしうらがまだやはらかなうちに朝は来て
もぐり込むシーツのすきまがぼんやりと温かいのとおなじく
メールに届いたことばの行間がやさしかったので
ミルクの匂いのする如き
甘やかな夢を見て真午にひとり、のっそりと起きるまで
やけに幸福を喫した日曜日の朝のこと
いつまでもいつまでも残る夢の余韻、
これをよりよく保つために
もっと音楽!
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前夜、
品川のトライベッカではライヴがなかったので
ではいつものグランド・オイスターのウェイティングバーへ。
分厚いタンブラーでプレミアム・モルツを一杯。
一年ぶりの愛しい知人と邂逅し、
一年ぶりのスタッフらが覚えていてくれて
一年ぶりに牡蠣の種類を上から下までオーダー。
おいしい夜。
笑いと弱音。笑いと豪語。シャブリをスルリ。
会わずにいた、久しい時間を埋める会話、
そんなのが苦手だけれども。
ごちそうさま、
でも、おいしい夜はまだまだ。
知人を乗せたタクシーを見送り、つづくひとりのドライヴ。
街じゅうがジャズ、どこへいっても。
東京は楽しいなあ。
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銀座、久々に映画に寄った。
予告編でほとんどの涙を出し切るわたしは、
ひとからいつも、
安上がりだとばかにされたがいまも変わらない。
わたしにとって世界は、
予告編で充分なんだ。
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本編は泣かなかったがじつによい映画で
すばらしかった点は、
珈琲をおいしくする呪文を知ったこと。
( わたしの珈琲、
これ以上ウマくなっちゃったらどうしよう! )
他のかたがたとおなじようにわたしも、
呪文のちからをよく知っているので常に、
なにに対しても呪文を唱えている、といっていいが
珈琲においてはまだであった。
*
街の境界を越えてホーム入りし、
あたらしく出来た小さな珈琲豆店にていちばん苦いのを購入、
とおもったら 『 今ないんです 』 なんて云う店主。
うわあそんなの困っちゃうね、
いま家に帰ってすぐに、たったの2杯分が落とせればいいから、
お願いですお願いですこの通り、といって無理に、
分量も計らずにある分をいただいてきた。
「 僕の、いちばんのお気に入りをお渡しします。 」
彼は、
クリフォード・ブラウンに似ている函館在住の男子に似ている。
*
ところがせっかく覚えたとおもった呪文を
いざ厨房に入るとすっかり忘れてしまったが、
たしかこんなのだったんだ。
「 ティコ・ブラーエ。 」
mmm、もしくは。
「 イリノイ・ジャケー。 」
なんとなくこんな感じのフィンランド語で、
さっそく豆を挽き、じっくり湯を落としてみると、
通常通り、猛烈においしかった。
クリフォード・ブラウンの一番のお気に入り。
たぶん通常通り。それ以上でも以下でもナシ。
おそらく呪文が違うんだが
まあだいたいそんなところでやっていこうとおもった。
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夕方の薄明るい雨に降られて
わたしの
いわば隠棲の場でもあるわたしの病は
瀟々と身体から流れ出し、
濡れ始めのアスファルトに幽かに煙ってなくなるようにおもえた。
爽やかだなあ、
なんて雨だろう。
地面、濡れた石畳のうえに
つぼみのまま首が落ちた椿をひろう。
ちょうど春の錦、
椿の頃に亡くなった彼の母堂の
祥月命日をせずにしまったことをおもいだして花を買う。
春に死ぬひと。
冬に死ぬひと。
死ぬときにひとは、
季節がどんなにうつくしかったかをことさらに知るだろう。
わたしは死ぬとき、
それについてまるで初めて知ったみたいに、
びっくりして死にたい。
いまびっくりしているよりも、もっとだ。
昔みた、
キアロスタミの映画がそんなのだったっけ。