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青いパパイヤにハリダビール。
外気が暖かくなると、そんなかんじの夕刻。
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午後、いきなりヒマな時間ができたので、
あいする D.に電話する。
- さっちん、ヘイヘーイ、ハッハッハー!
どうそっちは!まだ冬? え東京に戻ってるの、
それはそれはお帰りなさいだ!
なんだい白々しい男だねえ、
満開の桜の 【 写メール 】 したじゃないかとっくに!
ところでいまヒマになったんだけど、D.もヒマだろう?
ハイ・ヌーンのひととき、共にビールでもどう。
あっそう仕事。
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「 俺の演奏を聴いたあとで、
帰って一発ヤリたくなってくれればそれでいいんだ。 」
といったのはマイルスだとか。
いま、
ずっと鳴ってるのが、わたしにとってのそれであり、
なんど深呼吸しなおしたか知れない。
うわあイヤだなあ、
このうっとりしたアルペジオにからみつくマイルスのミュート。
といってラジカセの、【 1曲リピート 】 のボタンを押す。
*
以前、足繁くかよった渋谷のスイング、
いつ行っても白幕に映されていたのといえば、
マイルスのライヴ映像だった。
とっても貧乏だった学生のころ、
シャワーも扇風機も冷蔵庫もない六畳間で
夏、
心頭滅却して暑さをやり過ごすかもしくは、
暗い部屋でジャズを聴きながら熱い珈琲を飲むと涼しいのよ、
とかなんとか云っては渋谷スィングか、
千歳烏山のラグタイムまで出向いて過ごした当時。
( お金のあるときには、
西荻のアケタか新宿ピットインでライヴを。
青山の Body & Soul では外に漏れる音を聴いたりしたのを、
ヨネキがいつまでも覚えていて、やだ。 )
そう千歳烏山、ラグタイムではいつも他に客がいなくって、
わたしが角の席に座るとカウンタ内の男は珈琲を淹れ、
必ずマキを、そう 【 浅川マキ 】 を回してくれたっけ。
痩せていて栄養の摂れなかったわたしにとって、
そこでの ” レモン with オイルサーディン ”
が気に入りだった。
そしていつもヘイデンか、
或いはコルトレーンならスピリチュアルで締めた。
夏のさなかの熱い珈琲は、
そういうわけでジャズの味がする。
*
そうあのころ、あんまりアパートメントの部屋が、
というか東京の夏が暑いので
黙ってて汗をかくよりは、といって、
いきなり解体工事現場で働き始めたんだった。
【 ポジティヴに発汗 】
mmm、good deal 。
どうしてそんなに痩せぎすでかなしみに満ちた当時のわたしが
そんなことを思いついたのか不審だが、
そこがわたしのポリリズム的分裂症の成せる技だとおもう。
( かっこイイなあ...。 )
東京の夏が暑かったのと、
大工だった祖父が死んでまんまとわたしに乗り移ったのと、
そればっかりが理由なのだけれども、
最後の日、というか
【 きゃしゃな文学女子でいることの最後の日 】 には
珈琲店で濃いやつを啜り、
「 明日からわたしはこのように
メンデルスゾーンの聴ける店で珈琲を飲む人間でなくなる 」
というやけに切実な感慨を、紙切れに留めた。
最後の晩餐だとおもった。
そして果たせるかな、
わたしの身体は祖父のそれであり、
わたしはそれまでの、
闇とデカダンに雪崩れてゆこうとする精神を、
ただの肉体に明け渡したんだった。
肉体は雄弁で、疲れを知らず、
その筋肉は、精神の少しでも入ってくる余地を残さなかった。
メシは、
ていうかシーメは、
いちにちに6回、
しかも毎食、早食いで腹15割以上食べたし酒は朝から飲んだ。
男の子の職人がこっそり隠してあるパンも、盗んで食べた。
筋肉も脂肪も増え、コトバはめっきり、悪くなった。
尋常でない、めくるめくパワーを噴射させ続け、
いつでも高みへ高みへと力が突き抜けた。
昼も夜も通しで、眠らずに何日もヘヴィ級をこなして平気だった。
前が見えないほどのコンクリートの粉塵と、
肩や背にかかる重量、それに火花と鉄の匂いと爆音と
泥と膨大な汗はわたしを、死ぬほどしあわせにした。
わたしはヘヴィ級の現場を心底あいし、
また現場もわたしをあいしたのでさいわい、
あんなにおそろしく危険すぎる極限のシーンばかりでも、
大したケガも死亡も、こうむらなかった。
( じぶんはサーカスでも食えるんじゃねえかと
おもっちゃったりもした。 )
ジャズ喫茶や気の利いた珈琲店へは
ゆかなくなった。
さなり十年、ゆやゆよーん、だ。
いま、高く高くチカラ任せに上がったブランコが、
またゆっくり戻りつつ、わたしはむさぼるようにジャズを聴く。
*
ハッ
マイルスの甘い曲のことひとつ書くんだったのに
図らずも長い回想になってしまつた。
しかも気取りくさって。 このただのガテンが。
もうやめます。