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日曜の午後は
Sunday song book をチューニングしてフンフンフン、と
首都高・湾岸線を、幕張までドライヴ。
前日の深夜更けて、
仕事移動中のT氏の車が、
この同じ路上で、
はるか後方、追い越し車線から猛烈なスピードでまくり上げてきた、
若い首都高ローリング族の豪快なスピンに当てられ、
後部と前部に大打撃を受けたという場所もスルー。
相手のものと思われる、ウェイヴィに長くつづく黒いブレーキ痕から、
まだ湯気がホヤホヤ。(嘘)
さらにはタイヤも真っ二つに割けたってね。
「 さすが厄年でしたねぇ、
その子には、なんか云ってやりましたか、 」 と訊くと、
「 うん、お前ねぇ、
あとはもう黙ってカローラにしておきなさい、と叱ったぜ。 」
へえ、さッすがだなあ。
元ゾク上がりの親方の云うことは、
シンプルに腹に応てぇるねえ。 ベベンベン。
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海、それに、
コストコに、カルフール。
厨房、食材探しの旅。
今日はなんたって、
かの名ドラマー、Steve Gadd 氏の誕生日だから、
ワインも買いましょう。
そんなことまで引っ張り出して、
わたしたちは乾杯しよう。
毎日毎日、一杯分の乾杯ができることを探す。
*
たとえばほら、
身体には二百以上だかの関節があって、
それが日々スムースに動くことだとか、
筋肉からアミノ酸が分解されてしまう前に、
プロテインを供給できたことだとか、
今夜もロメインレタスのサラダのドレッシングが
完璧に出来たことだとか、
高すぎるとおもって買ったフィレ肉が、
シャトーブリアンだったりしたことだとか、
早朝ランをやめてお弁当づくりの時間に充てるハメに
なってしまったことだとか、
明日もまた生きられることだとか、
その他たくさんの、エトセトラをイェイ。
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大好きなデザインのCDジャケを
それにぜんぜん似合わないシブいアンティークの額縁に入れて
わたしが函館で、
セカンドファミリーと呼ぶ夫妻からかつてプレゼントされた、
棟方志巧の、【 風 】 という名の版画の横に置く。
- おまえは風になれ。
俺たちはもう、なったから。
その 【 風 】 の横に
この小さな額縁がおさまっているのはどうかな。
これもぜんぜん似合わない。
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蒼穹色の孤独のような、
どこか北の、物資のなにもない町の岬のような、
まるで真空か無のなかにいるような、
知られざる旋律の含まれた果てしない沈黙のような、
風のような波のような、
寂しさが膨らみすぎて破裂したら青空が出てきたような、
まだ足りないが、まぁだいたいそのような、
天才的なイラストデザインで
ほとんどがシンプルな直線でできているのをことさら気に入っている。
わたしは日常的にふと、
そういう場所へ身を委ねることがあって、
その自己イメージとそのイラストとは、
いまではすっかり同じものになってしまった。
じぶんを非難させるはずのシェルタが、
じつは無であるということ。
この感じも、
とってもスタンディングにキマっていて好きだね。
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蛇足ですが、
きょう、テレヴィジョンを見ました。
それにしても
なぜいきなりわたしがテレヴィジョンを見入ったかというと、
ケーブルTVにおいて、
勝新太郎の座頭市が特集されていたからです。
彼はすばらしい。
共演の玉緒さんに、役の中で、
「 あいつ( 鍋吉 )に本当におめえさんが惚れてるんなら、
袖を引っ張ってでも悪いことはさせるんじゃねえよ。
お天道様に胸ェ張って生きるこった。 」 と言った。
彼が晩年、何度パクられたかを考えると、
わたしが玉緒なら、すごく困る。