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かねてからオファーのあった仕事、
重い腰もようやく
ここのところ続けてミーティング三昧に乗り込む。
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重い腰といえば
長い函館滞在中の身体管理がダサかったために
付いてしまった腰周りの脂肪を
栄養と腹斜筋トレーニングで抹消する。
きょうはよい具合に筋肉痛があって、
すこぶる機嫌がイイ。
えッ?
早朝ラン?
・・・・・・・・・・・・ 知らないよ。そのようなものは。
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何度も重ねて電話があったので
友だちの店へ寄る。
- Sachi、ハナシタイコトヲ イパイ アルヨ ダイジ
オニガイ、オニガイ、スグキテヨ、Habibi.
甘い甘い、殺されそうに甘い、愛のバジル・ティを飲みながら
流暢だけれどもまったくワケのわからない日本語と
わかるようでわからないアラビア訛りの英語と
なおさらわからないアラビア語の渦中で
わたしのこころはすでに
夏の湖畔の清涼な風に吹かれている気がして
目の前の暑苦しい男たちとその匂いにいつもなら
砂混じりの汗とドギツイ金色をした太陽の異国を
うっとりと逍遥するところだけれども
うわの空
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外は花冷えがして
ヤクザとピンク嬢でいっぱいのこの街も
背中を丸めたみたいに無口。
わたしは
眼の前のガイジン達を、
どうしてもしあわせにしたいとおもう。
そしてそういうわたしは
いまだじぶんを知らないでいる。
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故・本田竹広氏のアルバムが、
ヨネキの采配で、届けられた。
これが白鳥の歌かとおもったがその後に
もう一枚ライヴ録音があるようなので違うみたいだ。
どちらにしろこれはうれしいな、
どうもありがとう。
この冬の彼の訃報をきいたのは、函館滞在中だった。
そういえばバタさん( 川端民生氏 ) が亡くなったときも
わたしは函館にいた。
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ダイニングの 【 ラジカセ 】 が
マイルス10枚組のようやく6枚目に漕ぎつけて、
必死な感じで鳴っているのをそのままにして
仕事部屋のPCでホンダを鳴らす。
こんなのはどうしたって泣けるに決まってる、
泣くのはいやだなあ仕事中に、とおもいながらのホンダ節、
じつのところ涙ではなく鳥肌ばかりが取って代わり、
もっぱら、ニコニコとため息とでホンダに接近する。
なんだかこれ、わかるなあ。
ひとが
心底シンプルで、ほんとうに素直になったときに
表現できるものというのがあって
それはとっても明るくて、あっけらかんと力強くて、
なんだか自由で、そうして、際立っている。
ひとが、還ってゆく場所というのが、あるね。
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六本木での取引きに大負けして
ファックと遠吠えしながらドライヴ。
窓全開。
ついこのあいだ根切り工事してたはずの防衛庁が、
もう、あんな!!
黒パンを買って丸ごとかじりながら、
C.C.R.のカセットテープと一緒に
大声で歌う外堀通り。
土手沿いにつらなる桜。
東京はいつ見ても新鮮。
パテみたいなのが食べたくなって
車を停めて神楽坂のフレンチで、ひとり反省会。
帰路の国道、
車に乗っているのが楽しいのでさほど気にならない渋滞の
西陽に延々とつらなるテールランプ、
延々とつらなるわたしの体言止め。
猫の爪みたいな、
新月まもない、細い細い宵の月。
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ひとの成功というのは、
人間関係の成功にほかならないとおもっている。
互いのこころに
なんの曇りもわだかまりもなくて
びっくりするほどさわやかに、
からっぽのこころで笑い合えること。
じぶんが、じぶんに対して成功していること。
連続する人生において
そういう瞬間が幾度かあるいは幾度もおとずれる、
その瞬間において、それが成功であること。
たどり着いたところはいつも、
あらたなスタート地点にほかならない。
ビジネスにおいてこれは、
お金やら計算やら計画やら戦略やらかけ引きやらの
対極のさらに彼方にあり、
決して引き合いにされることはないけれども
わたしは彼方にあるそれを、なによりも必要におもえる。
そういう意味においては
成功は将来みいだすものではなくて
いまを、成功させ続けるべきものだとおもう。
そういう意味においては
きょうは失敗。エヘヘ。 ( ← )
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明日またみんなに、
あいしていると伝えたい気分。