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またしても
UHB局ディレクタであるタツヤ氏みづから
( 彼は昨年 、【 廃墟キャバレー未完成企画 】 を
なんども追ってくれたひとだ )
重いキャメラ機材を肩に、
朝にわざわざ札幌から函館まで飛んできて、
こんどは海路、
津軽海峡対岸、まぐろ1本釣りで有名な、
” 大間 ( オーマ ) ” 行きのフェリーへ同行となった
*
対岸で邂逅するは、
ごぞんじ
大間をしょって立つキチガイ女、
島奴( シマヤッコ )と
顔もヴォイスも、
スジの通った一本気も東西に知れた、
大間漁組の組長、通称・濱端( ハマハタ )アニ!
じつにシビレる顔ぶれだよ
( 前の晩、きちんと筋トレでもして
心身をヤキ入れしておくべきだったと後でおもった )
*
実際は
彼らだけでなく、
・ 大間漁師の最年長、オッチャ、だかという
( ナマってて、呼び名もよくわからなかった )
これまた全国に顔の馴染んだ、漁師暦七十余年の一本気、
・ 島奴( シマヤッコ ) のご家族、
・ 昔美人の、浜のお姉さんたち、
・ 時化男( シケオトコ ) と呼ばれる、
波がシケると血が騒ぐ、ッて種類の兄さんの笑顔、
・ その彼がまさしく先刻、晴れたシケの波浪のなか、
見事釣りあげたばかしの217Kgのまぐろ、
・ スゴイまぐろ部位をめいっぱい堪能させてくれた、
人知れずの意気をねじり鉢巻にした浜寿司の大将、
・ 三浦半島からの常連D氏、
・ 役場の紳士H氏、
・ もうひとり、
身体がデカくてわくわくする漁師の兄さん、
・ フェリーが日常、
函館市内各病院への通院のアシだという、
大間町民の大勢のみなさん
、、、てな具合だった
*
決して、ナマり過ぎている言葉のせいだげでなぐ、
ああ人種が違う、、、という温感のする、
温かくて、それがごく当たり前で、
胆が座っていて丁寧で、ファミリアで対等で、
スジの通った矜持を各自、ハラに携え、
それが自然で、とっても人間らしいようなひとたち
・・・ もし自分が大海原で漂流したとき、
漂着できた先は大間漁港だったらいいな、というか
このひとたちには、
一生付き合ってもらえそうだな、というか
そんなずうずうしい予感までした
*
1泊して翌朝は5時にアラームを鳴らし、
早朝便のフェリーで函館へ
これが大間のひとびとの病院船、
みんな函館市内の病院へゆく目的で日帰り利用する、
彼らのライフラインだから、
なんとなく家族船みたいなイイ雰囲気で
昨晩のうちに出会った現地人や旅人もいっしょ
*
この朝、タツヤ氏が、
” 松前町長 M...氏 ” を撮りたいというので
函館へ上陸して朝食と珈琲後、
わたしのジムニーに乗り込んでこんどは遠路、
北海道最南端・松前町まで走る
M...町長を目指してBGMは八代亜紀、
晴れた空、怒涛の海峡、
いま渡ってきたばかりのシケの白波をお供に
横でタツヤ氏キャメラを抱いて
「 酒はぬるめの、燗がイイ~・・・ 」 としづかに唱和
*
彼が云う、
「 さちよ、青函帯 で海峡野郎をやるについては
浜の母さんたちッてのも、ちゃんと主役にするべきだね 」
まさしく海峡小町とは、
港の色町でまつ着飾った女たちばかりでなく、
浜を守って遠くを見る彼女たちのことでもある、
とてもビンゴだ
*
ああ今日も、
かのシケオトコたちは
どこの波間ぞ
ヨットマンたちを知ったときもそうだったように
もう未知でない男たちの誰かが、
いつもどこかの波のうえにいる、
、、、 ということを知るのは、
世界をとても愛しいサイズにする
*
大間へ行ったのは
来たる 【 青函帯2009 】 の企画のコンテで
開港150周年を迎える函館で、
津軽海峡はみんなでひとつ!、
海にちなんだ青函域のお遊びを一緒にしたく、
是非とも大間からも漁船を、
「 このご時世に 」
「 またしても酔狂で 」
函館に乗り付けてもらい、それで、
かつてみたいな港のにぎわった光景をつくってもらって、
海峡野郎という主役のひとつを担ってくれないべか、
特設キャバレーもご招待しますカラ!
、、、というオファーをスタートさせるためです
*
大間でのすばらしい内容は追々後述、
タイヘン嬉しい邂逅となったので、
すぐに函館市役所の農水課Y次長に電話報告すると
「 ホウ! 大間、いいべさ!
僕も互いに行き来するたびいつも、
大間人はなんてイイ人たちなんだろうか!とおもう、
函館のひととゼンゼン違うだろ? 」
と返ってきたので、わたしはすぐに、
「 イイエ、函館のひとも皆イイ人たちです 」
と、答えた。 かどうか。
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追伸 ;
渦中のフェリー問題、 『 函館-大間線 』 は、
はたしてほんとうに、なくならざるを得ないんだべか!!!
( 函館市長はひとまず先日、バッサリ切ったけども )
※ → 大間の声
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