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「 ボルボだけで何台持ってるんですか! 」
と、ガス・スタンドで訊かれる
*
- これも代車よ!フン!
・・・・ という気分は表現せずに、
ニッコリとして、
「 10リッター 」 とだけ云う
*
またしてもピット入りのボルボと
みるみる進む祖母の、前・側頭葉の萎縮
・・・ 経年劣化!
車は修理がきくのだけれども
記憶の保存と検索をつかさどる部分が
こうして亡くなりつつあるひとを
独居させておくと、介護放棄とみなされる
わたしの、
正味年間半分前後の滞在では、
あきらかに不備だろう
人生は、生活の分量ではなくて、質の問題
*
そのうち鳴った、
快活そうな気配の電話に出る、
「 さちよ!もう1台ボルボ買わないか 」
ウッ...
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ところで
当分はまだ、
それについてときどき触れることになる、
本という体裁にまとめるテキストの編集作業、
というものが現在つづけられていて
*
これはなにかというと、
昨年に終えたキャバレー未完成企画の、
いうなればルポのようなもの
ひとりではあまりに五里霧中のさなか
ありがたいことに、
「 さちよさん、僕等にまかせたら 」 として
わたしの素人的限界と
うしなうつもりのない、支離滅裂で迷惑な非論理性、
心理上の勝手なユートピアなどなど、
・・・ を緻密に汲み取ってくださり、
編集や構成やアートディレクションのチームを
軽やかに買って出た名コンビ
*
ひとりはA氏、
その風采独特なることボヘミア詩人のごとし、
本来は本人がアートであったのに
身勝手なることこのうえなきアーティストが
周囲八方に居すぎたために
えてしてその知的さから、
やむをえずバランス上手にまわってしまった男
いつも首に赤いネッカチーフをしている
ひとりはF氏、
その風采独特なること
長年研究成果のパッとしない科学者のごとし
なにもおもしろいことが起きない、
なんとなく不如意でシュールな映画の脇役風、
ある朝すべてを捨てて滑稽な旅に出て
図らずもモロッコで
怪しい宝石商になったところでズームアウト
じつは鋭いこと右に出るものなきアーティスト
いつもサスペンダーをしている
*
わたしが
この函館という街で空想に耽り、
嗅覚を刺激され、イメージを増幅され、
飛躍し、目を凝らし、憧れ、
臓腑ごと感覚を揺さぶられ続けた、
という子供時代があったとすれば
ふんだんに、彼等の動向も
その光彩に混じっているのだ
そういう恩人的大人役が
周囲には高密度で存在し、
わたしはその歴史的かつ形のない恩恵や影響を
ゆたかに蓄えていることを忘れない
時がたち、
こうしてそのひとたちと仕事をすることになる
” 彼等がいたので
この街はすてきだった ” または
” 彼等の仕掛けのうえで夢をみた ”
、、、ということを
数々の大人たちを通して知るとき
人生が、歴史が、
そうやってつづいてゆくことの
その長い俯瞰図がときどき見えたりして、
それはじつにハッピーなこと
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