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廃墟はもとの廃墟に戻してお返しする、という契約が
オーナーとわたしとの間に交わされていた
くだんのキャバレー未完成
*
じぶんの自己満足あるいは
じぶんのカッコつけ方および、
スマートな身の引き方、
としては
廃墟はもとのヒドイ廃墟状態にせっせと、
あるいは忽然と戻す、
そうして建物があのまま、
朽ち果てるか解体されてゴミになるのを待つ時間へと
ふたたび組み戻される、、、、、
まあ、それでよかったかも知れないが
それが
モノや物事に対しての正しい振る舞いであるかどうか、
については一抹の疑問が残っていたので
長いこと考えていたケツマツ、
” コトと次第の納め方 ”
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キャバレー後、
例年通り、
秋の大沼で開かれる環境資産についての
セミナー会に出向いて多くのひとと会い、
ディスカッションの席でもキャバレーを話題にしていただいて
ありがたく事後反響を得がてら、
やみくもに多くの大人達に相談した
それまでも、
ゆく先々にてあちこちで相談していた
わたしは
どうすべきであるか
なにが正しいかがワカラナイ
*
答えは出なかった
が、あきらめたくなかった
*
過日オーナーとも話し込んでいた、
廃品にするにはあまりに不条理な
備品のさきゆきについて、
オークションやバザーなどの凡庸なアイディアはとうに
霧消していた
*
準備期間に
3ヶ月と大金とを要して
【 一夜限りのグランド・キャバレーの灯 】
その本番前夜
プレ・オープン会場公開入場1,000円!!
( これは助ッ人の皆さんへのご祝儀分に充てた )
について、
「 前夜の会場公開までカネを取るとは
チャッカリしているぜ 」
とホザくのが
よりによって会社の社長業の面々であったことや
オーナーとは知り合いであるから、といって
現場の賃貸契約者であるわたしや、
おおくの助ッ人の面々を、、、
何日もボランティアのつもりで集まっては
汗をかいて労働し、あらゆる部分を磨いてくれていた、
おおくの助ッ人の、『 愛の手数 』 をさしおいて
アレをもらおう、コレをもらおう、というスジのわからねえ輩たち、
無神経な目、
無神経で野蛮な価値観、
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見えない物事の道理や価値をないがしろにする、
ロイヤリティたる真の意味を解さない、
じつに田舎的なる残念な人々に
いささかウンザリしていたのも一因
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どうにも好きになれない晴れた午下がり
( たびたびしつこいようだが
わたしは午後2時という時刻が、ほんとうに大嫌いだ )
( さらにいうなら日曜日という曜日が、もっとも嫌いだ )
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晴れつつも寂びた裏通りに車を停める
そう、
日曜日の午後2時
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この小さな建築物はどこから入るんだろう、
とおもっていると、
なんとなくものすごいスキマから、
( ほんとうにスキマという感じだった )
小柄で独特な女性があらわれて手招きした
ついてゆくととても感じのよいスキマで、
雑草や草花が生えていて
小さな入り口にスルリと入ることが出来た
午後2時のスキマ
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NBNB君の手柄で
『 キャバレー未完成 』 の家具や造作を手がけたという
古い家具屋さんが発見された顛末
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翌朝すぐに電話をしたあと
あちこちの挨拶まわりを済ませてのち、
こうして午後に押しかける
低く落ち着いた声をした目の大きな女性、
わたしは彼女の、
芸術的で活動的に輝いていた若い時代を容易に想像し、
それをやけにありありと身近に感じつつ
なんとなくどこかもっと北の、
べつの国の女性を訪れたような心地で対面して
またふたたび廃墟に戻る空間にある造作や
椅子たちのことを一方的に話す
...
途中に差し挟まれる彼女の静かな声 -
「 あたしたちが結婚するまえに
あそこ( 未完成 )へはよく出入りして幾夜も徹夜しては、
あのウレタンの壁などの施工をしたのよ 」
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そうか
椅子たちは
やはり彼等に還るべきだと感じる
強引に過ぎるだろうか?
- でも
環がきれいに閉じられるにはこれが
最良の結末であってほしいと強くおもう
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辞してから夕刻にあらためて、
彼女達がこんどは、現場にやってきた
- なつかしい...、
たしかにわたしたちの仕事よ
これらを
もったいないとおもってくれてありがとう...
*
「 ねえあなたは若いわね
でもあたしたちはもう若くない、
うれしいことではあるけれど、この件は重いわよ、、 」
・・・ 重いわ、、、
と繰り返して翌日の引き取りを約束して去る、
とてもしずかな背中
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翌日
トラックに乗ってやってきたのは
なつかしい長髪に眼鏡スタイルをしたY君と、
その職人仲間
- 母は、
きのう嬉しくてよく眠れなかったみたいです
ねえこれ、引き取ってくれたものはどうするって、、?
- きちんと張り替えて大事に取っておくでしょう、
母の父親が手がけたものなのです
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わたしは日曜日の午後2時が子供の時代から
死ぬほど嫌いだったが
2007年9月30日の日曜日の午後2時についてのみ
この先もときどきおもいだしては、
『 好印象 』
として記録するだろうとおもう
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場所も
モノも
オーナーも
関わったひとびとも
過去の作り手も
積み重なった時間も
その思いも
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それらすべてが
愛の交流をもって循環する道のあることを
わたしは信じる
これが正しい判断であるかどうかは、
まだ
まるでわからないのだけれども
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