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おとといの晩に雪山を見にゆくと
コンディションがよろしかった。
みなさん、よく来たね、
どうぞ存分に、楽しんでいってくれたまえ。
- と、わたしのなかの雪山のイデーがいう。
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翌朝、
まだ発情期の盛んな黒猫のおかげで ( 長い! )
朝まで眠れずに、汗だけをやたらとかいたので温泉へ。
・・・・ というのもなんだか癪だから、
もうひと汗かいてから、とおもいなおし、
ダウンジャケットを引っ掛けて、前夜見ておいた、Mt.Nee へ。
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天はすてきに晴れ渡り、
とっても気持ちがよろしかった。
わたしはいつも、軽装で滑るので、
晴れている間にガンガン滑りまくって、サッと引き上げる。
スキーに関してばかりは、スピード狂いになる。
速く、速く。
ここはわたしの古巣、
ここで育ったとおもえるほどに愛着のある山。
今期トリノオリンピックに出るとか出ないとかの、
佐々木明選手とおんなじ、この巣。
小さいがコースはすばらしくて、充分にアスリートを作る山よ。
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子供の頃のわたしのアイドルは、
三浦雄一朗翁だった。
彼の背後のロマンティシズムを
そのころからシンクロしてわたしもゾクゾクさせられた。
だからいまも、
スノーボーダやカーヴィングスキーヤーのシルエットではなく、
古くからのスタイルの雪山紳士の滑りが、
いちばんうつくしいとおもう。
緻密かつエレガント、そしてワイルド。
遊びというより、あれは至高の芸術。
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雪山 - 。
空は飛べなくてもいい。
空気を切って、足から全身に伝わる振動を、あいしている。
バネ、サスペンション、かかるG.
自由自在に動き、山にすべての身を任せてターンに乗る。
このときはいつも、全身で、じぶんの身体をあいする。
じぶんが、ようやくなくなる。
上昇し、降下し、浮遊し、放擲される気の流れ。
からだの粒子。 ひかり。
精神の華。
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恍惚としたところでリフトがそろそろ寒くなり、
ロッヂに登ると、くだんの佐々木明選手のご母堂が、
「 sachi ちゃんだったのね!ずっとここから見てたわ。 」
と、休んでいたストーヴの前で声をかけてくれた。
持参したプロテインを飲んで、
そのあとでようやく、山の温泉に浸かる。
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かつてこの近くに、
小さな小さなヒュッテがあって、
スキー修行のあとに、林の中をいく小道に乗って、
雪に閉ざされたようなその屋根裏部屋みたいな狭いカウンタで、
ホットミルクを父と飲んだ小さい頃の印象がいまも残っているが、
彼に訊いてもそんなこと覚えていないし、
ヒュッテの存在も、誰に尋ねても不明のまま。
狭くて、小さくて、天窓から月明かりがあって、
音楽もなく静かで、白髪頭の独特な顔の店主と、
ストーヴの上のヤカンの湯気さえ、はっきりと覚えている。
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わたしにとっての雪山は、
賑々しいものでは決してなく、
いつもこの小さなヒュッテと、三浦雄一郎翁の、
荘厳な静けさに満たされた、孤独とともにあるのです。
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