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みなさま本年もどうぞよろしくね
( アァッ!なんだ!
白金に住むデザイナのたつぞうから毎年、
彼の撮った写真カードが送られてくるのをここに転用していたが、
いま出して見るとこれ、いつもの 「 & ハッピーニューイヤー 」
が入ってないね?!
たつぞう!それ困るよ!
どちらかというとクリスマスの方はどうでもよいんだが! )
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さて正月も返上して
しばらくアジトの制作に取り掛かっていた
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「 またあんたこんなとこに居るの!
いつ見ても作業着で
古い物件と格闘してんじゃないかよ!何に呪われてんの?
まあったくどうしようもねえねあんたは!
きっと前世で相当悪いことをしたんだね、、、、 」
・・・ と、実にそのようなわたしの事態を
何軒かの物件において
重ねて立て続けに見ている某社長
うるさいですよ
*
雪がないので気分が盛り上がらず、
テレマーク・スキーは断念、
体育館は休みで筋トレも断念、
年末年始、街も人も動かないので企画準備も断念
同じく東京もせわしないので帰るのも断念
それによって決め事も決まらないままなので断念
その他書類をしたり、作戦したり、
勉強するには場所がいる
・・・ として、
ずっとその、
安定したじぶんの場所を探していたここ数ヶ月
*
果たしてなんのアジトかというと、
ひとまず来年の
【 青函帯企画 事務局 】 を兼ねる、
わたしのアトリエ兼研究室兼事務所であります
・・・ 企画の会場となる緑の島が見え、
港の要であった函館ドックにも近く、
古くは高田屋嘉兵衛たちにはじまり、
さらには、北洋漁業時代華やかなりし頃に
所縁ある港湾地区でもあり、
企画にとってのパワースポットだとおもう
*
契約した物件は
大正時代からの木造建造物で
やたらと古く、
何度かの用途変更を重ね、
ほとんど醜悪な近代的建築要素も入り込み、
どうもイマヒトツな感じに半壊していたものが、
数年前に売りに出て、
おまえ買わないか、
という話を某所からいただいたりもしていた
そのときから、
なかなか売れずに安値へ下落してゆくのを
ずっと横目で見ていたものだった
結局そのとき、
それを買ったのは別人物で、
半壊物件としての修繕も、さほど進められず、
不可解な状態のまま買主本人が商いを開いて数年が去り、
そして最近、手放すことになった
それを買い拾った現在のオーナー殿が
入魂の大枚をはたいて修繕事業をすすめているおかげで、
ほどよくなってきており、
わたしもあれこれと加担する
*
じぶんが借りたフロアに
もうひとつある部屋の借主は京都大学の美術教授
その奥が、わたしのアジトだ
漆喰もボロボロだった、壁にあらざる壁、
断熱材はナシ、壊れた杢サッシュ、
不可解な点の多い変更されたナゾの内装の数々、
そして現オーナー氏と
支出半分ずつの折半で張り替えた杢床、、
矩( カネ=直角のこと )も、陸( ロク=水平のこと )も
まったく出ておらず、相当に変形していて大工さんも苦戦!
それでもそれらはすべて
あんまりうつくしくなったから
室内約40㎡あまりの床には、
重ねて3度ものワックス掛けを、しつこくほどこし、
共同トイレットのダサい床には、
東京から持ち込んだ自前のツヤ黒のPタイルを
自主施工でめぐらし、
ダサい扉にはツヤ黒の塗装をし、
共同廊下と共同キッチンにも、掃除とワックス掛けを繰り返し、
窓磨き、階段、手すり、などなど、
” 手入れをする建築 ” の醍醐味をあじわっている
吹雪のときには室内にも廊下にも
雪が舞い、積もっていたりするがそれでもいい
だんだんに直してやる
わたしは北方圏の寒い冬が好きで、
その寒風にガタガタいう古い木枠サッシュや、
磨けば死ぬほど輝く古い一枚ガラスや古い高天井などが
好きなのよ
*
いろいろなところで
” 事務局を設置したよ ” と吹聴していると、
先日お呼ばれした、某社長会のラフな昼食席で
K氏というホテルオーナーが云う
「 ・・・ さちよ、そこはアレだって知ってんのがい? 」
- アレって何!
*
歴史にやかましい K氏の曰く、
大正初期物件で、堤商会( ツツミショウカイ ) という
さかのぼって北洋漁業の開祖となる、
新潟から来た堤清六と
函館の平塚常次郎( のち名誉市民となる )
とがシベリアで出会い、
最初のニチロ株式会社を立ち上げたのが、
まさしくそれよ
奴等が毎日自転車に乗って、
そこからロシアとの海域交渉なんかに
領事館だのあれこれに駆けずり回っていた場所が、
まさしくそれよ
今の北洋資料館にあるもののほとんどは本来、
そこにあるべきものだぜ
- ウォッ!すごいアレだねそれは!
*
知らなかったがそういうことか
堤清六も平塚常次郎も、
昨年、、否おととし! からわたしはじぶんで、
北洋漁業関連を調べる都度に写真で見ていて
すごいイケメンなのを知ってるが、
まあイケメンは関係ないが、
そう、
わたしは去年、否おととしからいきなり、
「 北洋北洋、水産、北洋! 」 となぜか云いだした
なんでまたしても門外漢のわたしが
いま北洋と叫ばねばならないスジがあるんだろうかと
我ながら不思議におもっていた、
、、、というかじぶんに辟易していた
*
昨年の企画、【 キャバレー未完成 】
の歴史的界隈を探るに、
出てくるのは北洋漁業ネタばっかしで、
過去の函館の経済と花街の興隆は
水産貿易と北洋漁業がエポックだったということを、
ひとびとから、或いは文献からさんざ習ったが
まだわたしをして
北洋北洋と云わしむるなにかが、ある
きっとまだ、あるんだ
わたしが自分で、
ひとに説明できていない何かが!
*
イヤー気の長い話だこと
ニチロは昨年、100周年を迎えた
函館に富をもたらした堤清六君と平塚常次郎君
・・・ なんの御用
きっとわたしはたぶん、
「 このひとたちのせいで 」 来年、
でなくて今年、( ゲッもう今年だよ )
海の男たちと街の興隆へのオマージュ、
【 青函帯企画 】 をやることになってるはずだ (逃)
*
わたしはいつも、
理解されず、かつ言語不足であるじぶんの
代弁者を( めんどくさいから )求めていたが、
それは多分にずうずうしいことで、
じつのところわたしが彼らの、
といったら不遜だが、
彼らはたまたまで、じぶんがまず 『 誰かの 』
善きスポークスマンになるべしと、
人生から叱責されているのだ
・・・ と最近、おもいなおすことにした
したよ。
・・・・・・・・・・・・・・・。
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