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用が出来て東北道を会津若松へ向かい、
そのあと、夜になって喜多方まで足を伸ばした
よその街の夜がどんなで、
朝がどんなで、夕暮れがどんなだか、いつも知りたい
10代、20代と旅を繰り返したから、
どこかの土地に、知ってるひとや出来事がかならずある
そしてどの風景も、知っているような気がする
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翌朝はやくに宿を出て、
早朝の、なにごともない喜多方をほっつき歩く
キンと寒くて、杉の焚きつけの匂いがする
早起きした街では、
どこか珈琲の店が開いているとうれしいものだけれど、ない
夜も早いくせに、と毒づきながらゆくと、
ひとの見当たらない裏町の、古いラーメン屋のなかに、
早朝からひとがいっぱい詰まっていた
うわーここは、喜多方なんだねえ
...スイマセン
*
そしてなにかこう、呼ばれるものがあって、
昨夜、知らないひとの口から聞こえてきた土地、
” 大内宿 ” へ寄らねばならないとおもった
テレヴィジョンで年中、スッカリ有名騒ぎらしいので、
ご存知のかたのほうが多いかもしれないが、
国会中継しか見ないわたしには( ← しつこい )、
知ったところでない
*
以前、参謀方の兄貴分としてのO氏に、
街という街は、かならず外からひとが来るようにがんばらないと、
やってゆけないものなのかどうか? と訊いたことがある
彼はノーといった
「 役割を分けて広域が立体構造になればいい 」
・・・ フーン、そうだった
好みの回答だ
この軸は、
その他あらゆる物事へ、大小問わず敷衍できる
このことはいつもわたしの役に立つだろう
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南会津 、 大内宿 -
かつてわたしが建築をおもしろいとおもいはじめた建築物が
茅葺き屋根の一般民家
その、現存する兜造りの偉形を眼にしながら、
なんだここは?とおもう
なんの情報もなく山の街道を、
長時間かけてその昔の宿場へたどり着いたわたしはすぐに、
ひとのうち、である民家へ上がり、
ひと様の黒ブチ写真の並ぶ仏間に座り、
長ネギで蕎麦を喰って本を買い、
ひとのうち、みたいなそこの縁側でそれを読む、
そこのうちのおじいさんが、ぷらっと、
縁の廊下から来て、そこの座椅子に寝そべったり、
ふつうに仏壇をいじったり、玉こんにゃくを串に刺したりして、
わたしのよこで、ふつうに生活している
*
なんだここは?
ていうかこの場合、わたしはなんだ?とおもう
・・・ すごくわからないので本を読む、
それではじめて、
この宿場をそのまま保存することに30年をかけた、
よそ者であった相沢韶男という、
とあるひとりの男の、
果てしなく長い足取りをわたしは知ることになったが
読みながら、身体が震えて止まらなくなった
*
このうちの、この玉こんにゃく翁、
・・・ 否この宿場の老住民のほとんどが
じぶんのうちの縁側や室内に座って商売をしている、、、
彼らはきっと、
それぞれのじぶんのうちの、
この、旅人たちへ開放しているふだん使いの仏間の、
おどろくべきこの仏壇に入ることを、
とっても誇りにおもい、安心しているのじゃないか、と感じた
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保存されているこういう集落は国内外にもいくらもある、
それらの情報も、内情についてのデリケートなあれこれも、
そして観光というひとつの事件による、
生活と価値観と歴史と心との変化やお金の流れについて、
衰退、革命、変化、順応、問題、、、エトセトラ、
こういうことについての作文は
ありがたくも多分にあるので書かない、
ただわたし、この玉こんにゃく氏が、
なんとなくワクワクしていて、
ここでこの仏壇に入ることに
そこはかとない不思議な因果と安心とを
感じているんじゃないかというなんとない第一印象と、
その玉こんにゃく氏がそういう印象を、
このときのわたしに放った、
ここに対して、
あるひとりのよそ者と地域とが30年をかけたのだ、ということに
*
とてつもなくショックを受けて、帰るよ
東京へ
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