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その日ひさびさの野良仕事を終えたついでに
もひとつ仕事をしようとおもい、
バゲットとビールの差し入れを持って
O氏の事務所のある海沿いをゆき、
それらをスタッフの皆さんへ差し入れた中から
まずは勝手にじぶんの分をちょうだいして
防波堤でそのバゲットに喰らいつき、
その缶ビールをギュッと飲む、
うつくしく桃色がかった日暮れ時
すぐ先、津軽海峡対岸の
大間の皆々は元気だろうかと眺めやる
*
むこう対岸からは
こちら函館の街の灯りが黄昏に、
それはそれはキラキラと手招きするように見え出すと、
たまらず彼らは自分たちの漁船を出して、その昔、
なんとありがたいことに
それぞれ海をわたり来たっては、
歓楽街だった当時の函館・大門を浮かれ歩いたというよ
*
病院も花街も、
彼らにとっては函館が半分ホームだ
この街は、彼らの生活圏でもあるのだということを、
普段わたしたちは、実は知らずにいる
そしてその、
向こうの民衆の日々のアシであった、
大間 - 函館間のフェリーが今、
なくなりそうになっている
★ このブログでもしつこく前出させている、
かの地で躍動しつづける島奴( シマヤッコ )らが、
” なぐすなぢゃ・テーシャッツ ” という、
またしてもばかばかしくも泣けるTシャツ作戦に出たが、
果たしてこちら岸のわたしたちには、
大間航路を、「 なぐすなぢゃ 」 とおもっているひとが
どれだけあるのだろうか?
すくなくともわたしは、テーシャッツを2枚、買うね...
※ なぐすなぢゃ!!- 大間の声 ※
*
こちらとあちらとは、
『 青函ツインシティ 』 と掲げられて久しい間柄、
その友好的心根が、
むこうからの一方的な片思い、、、と云われても久しい
*
砂の上のカモメも
もしかして対岸の空を知っていたりするのだな
空にも海にも境はないのに
陸のものだけが不自由な何かに縛られる、
つまらない世界地図と、ひとの心とをおもう
*
ダメだ、息が詰まる
そろそろ少し、アートが必要
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O氏の車でいっしょに用件回りを済ませ、
その後、作業着のまま
さびれた裏町の店でホルモンを喰らい、
芋焼酎をお湯割で、という夕方を、
リラックスして、
いかにもオッサン風に、もしくは、
ちょっと贅沢めの日雇い労働者風に過ごしていると、
電話だのメールだのがどんどん来た
*
なぜならさっき、
せんだって一緒に大間へ行った( 前ページ出 )、
UHB局ディレクタのタツヤ氏の入魂作がニュースで放映され、
そこにわたしを発見したからだ
*
テーマは、来年の企画 【 青函帯2009 】
、、、、というより、
【 フェリー問題・大間-函館航路 】 になっていたが、
それはタツヤ氏なりの
優しい心くばりとメッセージ発信だった
*
函館が来年迎える、< 開港150周年 > は
節目としての単なる祝祭などではなく、
累積されて現存する水面上水面下のあらゆるものや、
忘れられているあらゆるものが、
まな板の上に乗せられるべきなんだ
*
この春に、A氏がわたしにくれた言葉を思い出す
「 たぶん・・・
抱えるものが大きいのではなく、
広がり深まるものが大きいのだとおもえば
なんとか来年の青函帯企画まで1年、
きっとやっていけますよ 」
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