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祖母が
早朝の4時を
夕方の4時だとおもうことを
どうにもやめられなくなってしまった
「 なんでいま寝てるのか 」 とか、
「 アンタまだ出かけないのかい 」 とか、
「 寿司でもとるかね 」 などといって
わたしが仮住している別室を
朝4時に、
ぼんやりなシルエットになって開けにくる
*
「 朝です! 」 と云っても
どうにもならないようで、
ブツブツ云いながら戻ってゆき、
テレヴィジョンを最大音量で鳴らし、
” 夕飯 ” の買い物や準備を思い立ったり
などしてウロウロし出す
が、、
アレ、もしや
わたしが間違っているのではないだろか?
と幾度も窓の外の明度を
じっと見つめて測らせるほどの
あきらかな態度をもって彼女は
*
それで、
これはちょうどいいとおもって
その後は、朝4時に起きることにしている
三文くらい得しないかしら
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T氏のヨットへ
午前中にいらっしゃいとのことだったけれど
4時に起きているからといって
まさか朝6時にノコノコと出向く、というのも悪いし、
まんじりとしてフツウの時間になるのを待った
*
手土産のために
銀座通りのパン屋さんに寄ると
「 オウさちよか 」
といって店主K氏がチーズを持たせてくれた
おまえさあ来年、
セイカンタイだろ( 青函帯企画趣意のページ )、
そのとき俺たち、
※ バル街 ※ の日程を合わせる気もちがあるゼ
( ※ 界隈の店々がスタンド・バルのスタイルを取り、
ひとびとが街中を逍遥して賑わいをつくってハシゴ酒
函館にスッカリ定着したらしい遊び、仕掛けは彼ら )
*
やった、
街中がウェルカムを用意できるならすてきだ、
と、きげんよく、朝の緑の島へ到着し、
ゆらゆらするポンツーン、
T氏のヨットをめざして歩くうち、早くも酔う
湾内が、やたらとシケているので
*
海にあっては、
まるで綱渡りの綱くらいに細い、
工事の足場に使う225mm幅の道板状のものが
ポンツーンから海を隔ててはるか数メートルも先の
ヨットに渡されてあって、
そのようなものが湾内のシケで
大いにグラグラしたりバコバコしたりしている
オエッ、そんなもの
山海塾のひとでも絶対にわたれるはずがないので、
やあどうも、といって出てきたT氏に叫ぶ
「 はじめまして、さちよですけれども
わたしはこれを渡りたくないです! 」
「 イヤイヤ大丈夫、これまで落ちた人、
、、、いないとは云えないですが 」
*
わたしはずっと以前、
沖縄の海で
真っ黒なナマコをギュワッと踏んでしまってから、
海というものがスッカリ、
どちらかというとダメになってしまったし、
おととし、
A級ディンギーに出会ってから参考に読み込んだ、
石原慎太郎のヨット小説群のせいで、
海とはあまりに恐ろしくて暗くて
ヨットに乗ったなら死ななければ気がすまない、
というような感じになってしまっているし、
以前、
オサム氏に乗せてもらったクルーザでは、
出航前に甲板の掃除を命じられ、
カモメの糞に没頭しているうちに繋留のまま酔った
( が航海中、酔いながらステーキは食べた )
*
海とは、
遠くにありておもうもの
そしてかなしくうたうものだ
「 ラ・メール... 」 とか呟いて
*
くだんのT氏の週末は、
すっかりヨットとともにあるらしく
揺れに揺れるキャビンで寝起きするという
酒とジャズの大いに揃った、
すてきに愛に満ちた我が家、然としていました
が、感心する間もなく
わたしはじつのところ早々に酔っているうえ、
波に揉まれているうちに
何年来、なんともなくなっていたヘルニアが
スイッと戻ってきてしまって腰がすこぶる痛みだし
が、酔いとヘルニアを表現する間もなく
海の男ゼンブの理解と協力を欲するわたしに
せっかくいただいた、
重要な邂逅の機会なので
ベラベラとプレゼンさせてもらう、ひたすら
*
つづけて現れた仲間のシーメンの方々の、
都度いただける反応や会話や情報がとっても楽しくて
落としてくださった珈琲はおいしくて、
” 気持ちワル痛楽しい ” というか、
” 痛タノ気持ちワル ” のようなふうで、
( いや、気持ち悪くて、腰が痛くて、心は楽しい、
と云いたいのですが )
かように、
いいような悪いようなだったんだけれども、
マリンというジャンルにおける、
現場レベルの現状や真相や、
不可能や無理や可能性や心意気や愛や知恵やら
たくさんのことを教えてもらい、
今回の企画においての
いろいろな関与と協力の示唆を
いただきました
それはホープフルな気分
*
これから徐々に、青函帯については
進度と全貌とを公開してゆきます
わたし、この街は、
最後まで大人たちがカッコイイ街であってほしいのですが、
・・・ 実際カッコイイのです、フフフ
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