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” チュニジアの夜 ”
この、魔の名曲をテーマにしてキャバレー、
ッてのを口外していたが
どうも個人的傾注に拘泥する感が合わなくなってきて
このテーマはわたしのこころの裡と
本番でのプレイ曲目とに
ひそませておくことにしたから
申し開きをかねて、説明しておく
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2007.9.23.予定
函館旧花街・大門へのオマージュ
【 一夜限りのグランド・キャバレーの灯 】
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昨年の秋に、
函館の大人たちのことや、
函館の古い花街、大門のことをずっと考えていたら
八王子のジャズ好きの、とあるM氏から、
わたしも大好きな名曲 『 チュニジアの夜 』
の邦訳が伝わってきたのが以下だ
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- いずれの空の月も同じ
- 冷たい夜の光を放ち、輝くことに変わりない
- だが、チュニジアの月ほどに、
- 明るく輝く月はない
- 星々が空に輝こうとも、賢者たちは知っている
- 砂漠の道を照らすのは、
- チュニジアの月の他にない
- 言葉で語るに語れぬほどに、エキゾチックすぎる夜
- 夜ごと、夜ごとに更けゆく夜は、
- いにしえの世へと沈み行く
- 昼間の煩いごとは消え、解き放たれる時がくる
- 夜ごと安らぎの満ちる場所、
- それは素晴しきチュニジアの夜
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これを読んだとき、
なんだ、へんだな? と感じた
( もちろん曲ありきで、詞は後付けだが )
これはチュニジアへの詞なのではなくて
古いキャバレーか何かへの詞だったのか、
とおもい至ったのが発端
*
「 チュニジア 」 というのが店で、
「 月 」 が店の女、
「 星々 」 は街の灯、ッてとこだろ
、、、すると一枚の青写真が
大門のとあるキャバレーを取り巻く夜々の、
明瞭なコンテクストが、頭の中に焼き付けられた
街の大人たちが、
とってもよろこんで湧いている図だった
キャバレー
、、、 cabaret
では古いキャバレーを探そうと思い立った、
去年の秋のことだ
もちろんキャバレーなんて知らない、
見たことも行ったことも、ねえ
*
冬にふたたび函館へわたった、
雪の降る夜に何日も何日も、
大門を隅々まであるいたり、
聞き込み調査やインタヴューをおこなったり、
いろんな方々に会ってハコを探したりしたがどこもダメで、
いいかげんにあきらめようとおもっていた2月の終わり、
かつて栄華を極めた大キャバレーだったという廃墟ビルに
最後の最後に出会った
*
オーナー氏をムリヤリ探してもらい、
オーナー氏をムリヤリ拝み倒し、
懐中電灯1本で中を見せてもらうにいたった
それは
封鎖物件でかつ、
中はカビと亡霊と老朽が激しくて、
とんでもなく膨大なモノたちの山、というか
無秩序極まりなく、あたかも
震災の打撃を受けたままの巨大倉庫、みたいだった
のだけれども
ここだったのか、と安堵した
*
ここだったのか、わたしを呼んだのは
*
その日の結論をいうと
ステージも
ドレープのついた緞帳も
シャンデリアも
吹き抜けの高天井も
赤いヴェルヴェットのソファたちも
すべての図面、配置が
空想上のコンテとピッタリ一致した
*
オーナー氏はダンディな無表情でダメを通した
( が、できる )
建築士として見ると、消防検査は通せないな
( が、できる )
本設では、電気も水道もガスも通せそうもないな
( が、できる )
金がかかるな
( が、君ならできる!! )
*
カッコ内は亡霊たちの声だ
だからなにも心配しなかった
ニヤニヤして、「 やる 」 とじぶんが云ったとき、
場の空気が、真っ暗闇の中でどよめいたのも知っている
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頭の中ではずっと、
いつもチュニジアが高らかに妖しく響きつづけ、
わたしをすこぶるドキドキさせて、
ひっきりなしに背を押すのです
いまも
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