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あちこちに
わたしにとっての母なる存在、
というひとがあって、
多くの母に可愛がってもらっている日々を省みて
この日までにはいつも、激しく散財して
花やプレゼントを方々へ手配する
じぶんでは
肺炎のリハビリ、と称して筋トレをしつつ
あちこちにプレゼントが届くのを想像しては、
少しイイ気分になったりして
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だが筋トレはダメだ筋トレは
お医者から、
運動は決してしないようにと釘を刺されていたのだけれど、
もうよかろうと勝手に決めてジムへ出たが
どうにも肺に空気が足りなくて、
やっぱり具合が悪くなった
( あれはきっと、
ひとりムキになって無駄に重いウェイトで
バーベルカールをしていた男があったが彼の吐く、
必要以上に大量の二酸化炭素が
やたらと充満していたためです、と、ひとのせいにしたい )
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ビビ少年はいきなり9歳になり、
大切なキャッチャーミットをわたしに見せびらかして
大人っぽく笑いかけてきた
マンションの下で、
壁を相手にひとりキャッチボールをしていたのを中断して
こちらへ軽々と走ってくる図というのは、
なんだかすこぶる眩しいもので
彼、こないだまでは、たしかずっと4歳で、
わたしのことをお姉さんと呼んで後ろをくっついていたのに
いまはただ、「 ねえ、 」 と呼びかける
「 向こうの駅にさ、駅ビルが新しく出来たの知ってる、」 というから
「 そう、知らなかった、今度いっしょにゆこうか? 」 と頭を触ると、
「 フフン、」 と曖昧に、
眉と、方頬だけを上げて肩をすくめ、
なんだか粋な感じで笑った
アメリカ人かとおもった
わたしはこの笑い方を、
15歳のときに覚えて使っていたが、
9歳のビビ少年にはいったい、誰が教えたんだろう
*
それより彼はいったいいつ、
5歳であり6歳であり7歳であり8歳であったんだろう?
いつも顔を合わせていたのだのに
驚いた
そしてわたしはいつ、
こんなに年を経たのだったろう?
しばらくずっと24歳であったような気がするのに
祖母は昔、ずっと54歳だったのに、
いまはいきなり85歳だなんていう
かつて時間とは、
たしかに伸びたり縮んだりするものだったが
いまは正確極まりない、融通の利かないものにおもえる
例えば予定の時刻まであと3時間しかない、
という状況の場合、
ほんとうにそれは4時間なのではなくて、
ことさら正確に3時間分しかない、ッてことには
ときどきもう、心底ビックリする
わかるかなァ...
*
【 年齢など気にしない 】、
というのは常套句のように聞き慣れた言葉だが
年齢という標識は大事だ
同じく、
【 顔など気にしない 】、
というのもよく聞くが、
顔には、相や表情も含めて、
人生の捉えかたや価値観の累積がすべて顕れるんだから、
これも大事
*
ひととの関係において、
「 顔が好き 」 「 目の動きが好き 」
「 くちもとが好き 」 「 声が好き 」 、、、 というのは
もうそれだけで充分で、
余計なことを云う余地がない
これは決して軽薄で表面的なことに過ぎないわけではなくて、
それぞれに、その表面的を足がかりにして、
深奥をじぶんなりに探っているだろう、
しかも、瞬時にだ
わたしは死ぬまでに、
どんな顔を持ちたいだろうかと考える