- featuring Shun.
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ただいま。
といってもすでに昨晩のことですが
1930年代のカルチェ・ラタンから帰りました。
*
ガラガラ声の太った女主人が
髪の毛を三つ編みにセッティングしはじめ、
「 ええとオレンジオレンジ、オレンジよ今日は 」 といって
積み重ねてある箱のなかからオレンジ色のバンダナを取り出して
顔のファサード部分にデカデカと大麻の絵が来るように装着する。
( 以前は、白白白、さぁ白よ今日は、といっていた )
毎日のラッキーカラーを把握するために
毎朝4時だか5時のテレヴィジョンを見る、
指定された色以外のバンダナを使った日は客の入りが少ない。
風水?あんなのダメよ、
玄関に黄色いもの飾ったって。なんだってのよ。
とにかく!きょうの蟹座はオレンジなのよ。
ほら、めずらしい、こんなに客が来た。
*
馴染みのカップルや
気が弱くて人のよさそうな男や
お金持ちの先生や美人や
ひさびさの常連客らしいひとびとが
三々五々集まってひしめき、
すべてが古茶けた、狭い狭い店内に
客がギュウギュウに寄り合い、
古いレコードがびっしり天井まで詰まって煤けた壁をバックにして
アコーディオンとアルトだけのミニマムな音で
19歳の天才ファド唄い、みたいに見えるシュンちゃんが歌いだす。
セピアの空気と濃密な極小空間、
顔に光る金色の汗、一本だけの明かり。
正直者のアルトと
若い闘志を秘めたアコーディオンが訥々と絡む。
まるでなんだか、
さっきまでみんなで時事問題やら
革命やら詩やら哲学やらの論議を闘わせているなかから
( 女主人のおかげで爆笑ばかりで、そんな論議はなかったが )
頃合を見計らって
音楽家たちの出番が来たとでもいうみたいに自然に
音響などのありうべからざる小さな空間で
眼の前で歌手が、【 う た を う た う 】 。
そしてひとは好き好きに、
やおら聴き入ってはときどき声をあげる。
*
そのようすが、
うたをうたうということの
起源といっていいものがそこにあるかのような
歌とはこうして歌われ始めたのだという歌の必然性や
文化にひしめく街の片隅で、或いはいたるところで、
どうしようもなく溢れ出た歌のおこり、みたいな強烈な、
なにかこう、
世の中での生活がすべて正直で簡素で自由、
そうした中で生まれる詩や歌が
自然にひとからひとへと広まって時代を経た、
そんな凝縮された時空にあのとき、
わたしたちは居たみたい。
古くからの店の常連にあたたかく囲まれて
女主人によって次々と拷問のように出てくる
おいしい家庭料理をどんどん消化しなければならず、
音楽を聴くときは食事などしない、
という不文律もそっちのけでわたしたちは食べ、
それでも、まるでファミリーと仲間たちに歌って聴かせるようにして
シュンちゃんは歌い、
しまいには客たちもあろうことか
馴染みの曲では声を合わせて一緒に歌い出す始末で、
それはなんともしあわせでシンプルな、ひと幕を過ごした。
歌は、歌われなければいけない。
*
もう15年もまえ、
わたしが頻繁に顔を見せていたころの彼女は
都会のキラキラのジャズクラブやなんかで
逆毛を立てたヘアスタイルに夜に輝くジャズシンガーな衣装で
それでもやはり枠から抜け出てしまう少女みたいなやんちゃさで
ブッ飛んだジャズメンのプレイにハッピーにニコニコしながら
いくつもの夜を越え、いくつもの旅をしていた。
彼女はいつも彼女だったから
サウンドの趣向を変えた今も、
やっぱり十代のやんちゃな天才少女みたいなままだが
ブロンズに渋く輝くハスキーな声を
昨夜みたいにマイクを通さずに聴くと
彼女の声とは、マイクなんかには拾いきれないものなのだ、
ということがよくわかる。
スゴいものを、聴いたよ。
あれほど、終わらないでほしいとおもうステージはない。
あれほど、地上に出るのが惜しまれた夜もない。
*
どうも、
長い宣伝でしたが、
来たる9月には函館近郊の大沼、
湖のホトリにおいて、
・ シュンちゃんこと、酒井俊
・ 前出のクレイジー・チェリスト、坂本弘道
・ 昨夜のすてきなアコーディオニスト、佐藤芳明
この風変わりなユニットで、
いよいよお目見えです。
どうぞおたのしみに!