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まちを歩く。
この道を行くと
わたしがかねがね気に入っていた家がある。
プレーンかつシンプルな、
建築自体のフォルムの主張が残らないような、
その家のひとの優しい生活が浮き出たような、
昼間、ぼんやりとジェントルなひかりに包まれたような、
とても清潔で、奇跡的に祝福された家。
ひとや生活、その思想や土地などと、
すべてが心地よくフィットしているために、
フォルムの印象が消えてしまうような家。
その建築の様式が無理に外観の効果を求めていないもの。
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ひともそうであるといい。
その【 場 】 であるとか 【 間 】 であるとかに溶けること。
存在が、
そのフォルムや、
または個性などと呼び習わされた浅薄で幼稚な主張的自我
によって立つものではなくて
その場の
その時間の
そのものの
イデーを生きること、
じぶんの存在の輪郭を、
場に捧げていること、
それが成功するならかえって存在はそこに
明暦として屹立するだろう。
これまでそのようなひとびとと、
まれに出会ってきた。