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早朝に眼が覚めたとき
おびただしい汗だったので夢をおもいだすと
「 CO2野郎! 」 とおおいに怒鳴って
戦争中の民のあいだに
ものすごい砂塵まみれで立っているじぶんの夢だった
さすが、
環境サミット開幕の朝にふさわしい夢だ
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仲間たちと
朝の駅を利用してみると七夕かざりがあった
短冊になにか書こうぜ、
といって願い事を書いてゆくことに
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「 はやくジムへゆけますように 」
ここ数ヶ月、ケガだのギックリ腰だので
筋トレができていなかったストレスからそう書いた
仲間は、「 金持ちになりたい 」 だったし、
もうひとりは、「 腹が減りました 」 だった
・・・ わたしは、
今どきこんな仲間と一緒にいることが
非常にイヤになりながら、
じぶんもくだらないことを書いてしまって苦いおもいをした
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そして夕方に帰宅し、
汗と雄叫びのTBC ( 体育武道センター ) へ
あッ!ふつうにジムへ来てしまった!
いともあっさり今朝の願い事がかなってしまった、
、、、ありがとうございます、、
とはゆかず、、
なんだ、もっと難しい願い事にすればよかった、とおもった
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前日まで
古い空き家民家の増えた佐久というところに、
ある用があって滞在し、
( これは長野県にあることを知っているモ ン ネ ~ )
千曲川旅情のうた、
なんて小学校時代に暗唱させられた詩を
しつこくつぶやきながら
小諸なる古城のほとり、の集落で過ごす
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用が済んでさらに足をのばし、
建築学校での旅行以来の善光寺をふたたび参ることにした
上杉謙信と武田信玄の位牌でも拝もう
こんどは
「 牛に揺られて善光寺参り~ 」 とかいう
真意のワカラナイやつをしつこくつぶやきながらだ
( ところが駐車場をまちがえて、
ありがたくないことに、
参道を登って本堂へ参る、のではなくて、まず早くも先に、
高みの本堂に、しかも本堂の裏からアクセスしたあと、
ただ参道を下ることになってしまった! なんだ! )
おっとその参道が大変にぎやか
オオ遥か、
宮入りしてくるのは木遣りの声と神輿担ぎ、
威勢のいい入道たちの鉢巻とフンドシ
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彼らを盛大に見送って機嫌よくあるいていると、
ふと脇の看板に、厄年表
わたしはついこのあいだ、
3年間の重い厄年期間が明けたばかりなので、
他人事気分であったが見るともなしに見て眼を疑う
「 昭和47年女性本厄 」
・・・・・ エエエエエッ!! またかよ!
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うろたえつつ
厄年の志納金受付係のところまで走ってゆきながら、
『 善光寺だけオリジナル厄年( 当社比 ) 』
、、、、、、みたいなものかも知れないぞとおもい、
あの掲示は( 全国的に )本当なのですかと問いただす、が、
「 看板によるとまたなんですけど 」 というと、
「 へぇ、またなんですか? 」 という彼の返答は怪しいし、
となりの係のおばさんはすごく笑っている!
彼らはタヌキかなんかなんじゃないか?
「 だっておととしだかまでの3年間、
いちいち大師様参りをして御護摩を焚いて
おとなしくしていたとゆうのに、
くるしい水底からようやく息を吸いに浮上したところ
またしても
心ない手によって頭を沈められるような気分というか!! 」
と志納金係のおじさん ( タヌキ ) に食い下がっても、
ええ、どうやら本厄ですねえ~、スイマセンねえ、、
というばかりで、
( 謝るところが怪しい )
肩を落として帰る
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夜の上信越道を走っていると、
真っ暗であることに気づいたが
ふだん利用する東北自動車道もたしか真っ暗だ
車しか通らないハイウェイは、
ナトリウム灯がない山間部でも問題なく走れる
ギンギラ東京ど真ん中の首都高は
街の灯りとヘッドとテールランプだけでも大変な光量があるワケで、
そのうえ道路灯、とくれば、あれなんとかならないのか!
と憤慨しだして止まらなくなった
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ジムの帰り
七夕をテーマに
カーラジオからDJの小山ジャネット愛子女史が
あなたの願い事はなんですかと云っている
*
よしもういちど願い事を落ち着いて考えてみよう
・・・・・・・・
「 厄年でありませんように 」
んん
それとやっぱり
「 CO2 」 だ、わたしは
「 CO2! 」、これでいこう、
もう本当に、CO2
愛子さんわたしはCO2にします、それと厄年!
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