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刺激的だ、
刻一刻と、刺激的
*
重要な刺激は
にぎやかな形をした何かでは必ずしもなくて、
鳴り物入りでやってくるものでも必ずしもなくて、
ごく静かな時の流れのうちにも、
ごく静かに行使されている
つねに、いたるところで
*
忘れるべきでない気がするので書き留める
わたしのうえで
直近に起こった連鎖的な刺激の備忘、
とても個人的に行く
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シブめの
無彩色トーンで通常、
さりげなく決めていたA氏がある打ち合わせに
赤の入ったツイード調で現れたとき、
ハッとして眼に良かったので褒めちぎった
あとでメールにて返ってきた言葉が
「 あれは僕の転調です 」
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- 転調!
この言葉がずっと
相当ショッキングなものとして
わたしの印象に残っている
・・・ にわかに、
世界の広がりをそのとき想った
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” わたしたちはあまりに、
万物を体験するすべを建築によって奪われてきた ”
、、、というようなことを、
かのフンデルトワッサーが記している
ここでもまた、
なにかわからない予言的な感覚を味わい、
世界の広がりを想う
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「 縦糸がカシュミア・スーパーファイン、
横糸がシルク 」
そう云って、
とてつもなく軽やかで高価なショールを
君にも世話になっているから、と
贈ってくれたひとがある
*
感性も知性も
筋肉とおなじく、鍛えなければ誰しも衰退する
このときわたしの心に浮かんだのは
祖母の脳の MRI 断面像 、
前・側頭葉が萎縮して
ずいぶんとクリアランスが出来ていた、あの画
*
そしてショッキングな問いかけ、
「 ・・・・ ファッションについて、
これまで生死をかけて創造したろうか 」
と、いきなり思う
【 創造 】 でない限りは
決してファッションに生死を賭ける必要はない
*
似合う似合わないの勘、着る術、
定着したスタイル、好み、慣れ、小手先、
ちょっとした魔法、、、
( あるいは流行そのままとか、ディスプレイそのまま、
もしくはどうでもいい、というひともあるし、
ホームレスもある、がこれらは別件 )
そういった、
やむをえない積み重ねの慣性則によって
身に着けるものをそれなりに、
やり過ごす場合が多かろうとおもう
そこに生死はない
否、なくてもいい
ファッションに生死を賭けるということでも、
奇抜な格好を求めるということでもなくて、
そこでおこなわれるはずの
文字通り身体を張った創造という行為に、
賭けるという意味だ
創造とはつねに、
そういう意味合いをもつ
山口小夜子という死んだひとをおもいだす
彼女の、衣服への対峙は、いつもそれだった
そしてまた、
なにかわからない感覚で、
世界の広がりをおもう
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誰もいない、
とある室内で珈琲を飲んでいると
部屋の隅にあった木製スタンドのアームにいちまい、
とてもちょうどよく、無造作を絵に描いた感じで
コートが掛かっていた
まるでディスプレイのように計算されたシルエット
もしくは寡黙な小説の
意味ありげなメタファーのようにして
そのコートの佇まいが
いちじるしく目を惹いたので
そのとき本を読みながら
つねに視界のどこかに捕らえておいた
*
このデザイナは、
こうしてコートを、ハンガーではなくて
フックに無造作に引っ掛けられることを計算して、
つくったのじゃないか、と何度もおもう
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じぶんに隣接するあらゆる世界が
なにかを話しかけ、
ひとつひとつクリアに
寡黙でありながら確固たる迫力と
あたらしい清涼をともなってぶつかってくるような
そういう粟立った感覚の日々と、ひとびと
*
冬が終わる、
わたしにとって春は
なにかのはじまりではなくて
あいする冬の終わり以外のなにものでもない
それで愕然とする
この陽気に毎年、こうしていちいち愕然としながら
スニーカで雪のない路上を走るときの
小学生時代とおなじ、あしうらの地面の感覚
*
他人とはいつも、
じぶんが生きなかった人生であるとおもう
そうして世界の広がりに、
わたしたちは互いに触れ続けて、
そうしてなにを見るのだ?
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