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わざわざ溺れていたい苦悩に甘んじて
こころをひたすらそこに逍遥させる、
なんて時間の無駄遣い。
そのような ル・サンチマンには
塩でも盛ってやるわ。
子供の頃、
いつまでも泣いていたくて
ありとあらゆる哀しいことを引っぱり出すのに似て。
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今日の肉料理はなにがある、と訊くと ( ← また! )
若いギャルソンが答えて曰く、
「 鹿の赤ワイン煮込み、鹿フィレのカットレット、
それから牛ランプの網焼き。( ニヤ ) 」
mmmmmmm!!!
迷いに迷っていると、
ワンプレートに全部が載っけられて、
懇意にサーヴされた。
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先夜のライヴのあと、
こちらから誘い出したはずのマダムT.が
食事の支払いを請け負ってくれたことへのお礼に出向いた、
彼女たちのメゾン。
マダムT.とシェフが
奥から出てきてくれてテーブルを共にした。
シェフに、今年の猟の武勇伝を聞く。
彼の狩猟は完璧。
金持ちの道楽の、遊びとはワケが違う。
粗雑なだけのハンターともワケが違う。
マナハウスで背伸びして、
コイーバを切る若けぇのなんかを震え上がらせ、
ハウスのオーナーすら態度と技とを拝んでしまうホンモノ。
上客たれ。
どこへいっても。
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撃った鹿は
その場で一分一秒を切り詰めて、
その仏がすみずみまで生かされるように、
誠心誠意さばき、
徹底的に的確な処理がほどこされる。
この部分の腕の善し悪しで、鹿のイデーが決まる。
そこら一般のハンターとの大きな格差。
凡庸なやりかたでは、
肉が臭かったり固かったりして、
マズいんだ。
極上の肉にしてやれ。
遊びじゃねえ。
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わたしは今年も、
こうして鹿のいのちをもらう。
極上の、エネルギーとなれ。
すべての循環を、わたしのなかに。
いただきます。
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きょう、
セカンド・ファミリーにたのまれていたお使いをして、
それを届けるために湖畔に出向いた。
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まだはやい夕刻、
他の客が引けると、
それまでかけていたブルーグラスを
おもむろにデクスター・ゴードンに換えて
マスターとママが
早くも仕事を放棄してじぶんたちの分もビールを注ぎ、
おなじテーブルを囲んだ。
わたし、
ずいぶん昔からこうして、
とちゅうで仕事を放棄してくれた彼らと、
数え切れない日をいつまでもいつまでも、
とめどなく会話してきたっけ。
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ビールのあと、
シャンパンをあけたところで
彼得意の、シャンパーニュ・レクチャーがはじまる。
わたしはこの寡黙な彼に、
15歳の頃からたくさんのこと教わってきた。
「 このピアノを聴け、右手がちがうんだ。 」
って言われれば、
棚からアルバムをバタバタ開いては、
JBLの前で、【 ピアノ右手聴き比べ 】 をやった。
- 人生で、
ジャズとワインだけは、さちよ、大事にしろよ。
あとはどうだっていい。
ほんとにどうだっていいワケはないが、
こういう言いかた、好きだ。
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夜天に、冬の大三角。
薪ストーヴの前の、
小さな小さな小さな小さな、わたしたち。