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夜が
夜の深奥をうしない、
表面だけを晒すようになって久しい
ほんとうはもう一枚、
あの白々とした黒い天幕をめくったらそこに
ほんとうの夜のイデーがあるのを知ってはいるが
そうするほど夜は長くなくなってしまったし
乾した雑巾やゴミの入った袋や
そういうもので夜は締めくくられ、
あとはあっさりなかったことにされる
いつか
あれをめくってやろうとおもう、
あなたのために
きっと驚くだろうね?
夜を知って
あのね、
わたしたちは
そういうことをすべきなんだとおもう
このまま何も知らずに死んでゆくのではなくて
このまま表面の滑らかな上を
スルスルとすり抜けてゆくのではなくて
雨のあがった深夜の
あの生垣にはクチナシが咲いていて
たとえばその濃厚な匂いを最低10分間、
鼻をつけてじっと嗅ぐ
それと音楽とはいっしょだし
夜のイデーを知ることもいっしょだ
夜は
冒せば冒すほどにその深奥を隠す
ただ目を見開いて
夜にびっくりしているだけのほうが
夜はよっぽど親密に姿をあらわすのだが
階段を下りれば下りるほど、
夜の底に近づくかどうか?
階段を昇れば昇るほど
夜の高みへ近づくかどうか?
それは無理なこと
すくなくとも都会では
ただ都会では
今夜も音楽が頭上で巨大に波打っている
月の代わりに
わたしは見たよそれを
夜、その沈殿物はわたしたちだったという話
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ちょうどこの日が誕生日だというピアノマンのお祝いに
渋谷駅の気の利いた花屋さんで
ブーケを選ぶのに20分も要し、メッセージカードを何枚も書き損じ、
最後の一枚を花屋の店員さんに渡すまでに
無意識にギュウギュウに握り締めて
グシャッとさせてしまったので、また書き直し、
店を出て
見上げた都会があまりに大きくて
じぶんの立つ位置と方角とがわからなくなり、
「 R246、R246、 」
とつぶやきながら宮益坂に出てしまったし
チッ
久しぶりの電車で降り立った、
ますます巨大化する渋谷の街、
方向感覚が狂い、やっぱり車で来ればよかったが
なにしろ目当ての小粋なジャズクラブでひと息。
*
頭上にうねって何事かになろうとする音楽の
原始のかたちを感じながら
わたしはなぜかなんとなく
40年代のある時期のアメリカの人々と
シンクロしたような気がする
*
「 T.K.氏からもおめでとうですって。
脳の血管を切ったのになぜ俺は
どうでもイイあなたのバースデイなんかを
覚えているのだろうかって。 ゲラゲラ 」
「 うるさいなあ。でもありがとう、
T.K.氏はたしか8月4日だったよね? 」
というので昨夜、
TK氏のプロフィールを覗きにゆくと果たして、
8月4日生まれだった。
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ハッピーバースデイ、Mr.ピアノマン
きっとすばらしい年を過ごせる